受賞者:岩井 浩(関西大学名誉教授)
選考結果報告
選考対象論文
岩井 浩 著『雇用・失業指標と不安定就業の研究』関西大学出版部,2010年3月
本著作は,岩井浩会員が前著『労働力・雇用・失業統計の国際的展開』(1992年)以降に追求してきた労働統計に関する諸論文をまとめた労作で,第 I 部「請求者登録の生成と特性,失業代替指標」と第 II 部「現代の失業代替指標と失業・不安定就業」という2つから構成されている。
1. 本著作の意義
(1) 本著作のもつ視角の意義
統計研究には,(1) 統計そのものが社会的生産物であるという理解のもとに,統計とその統計が成立・存続している基盤としての社会との関わりを明らかにする側面と,(2) 作成された統計によって社会問題に肉薄しようとする側面の二つがある。両者は相互規定的であるものの,雇用問題に関する諸研究では(2)を主眼とするもの が多い。本著作では,雇用・失業統計と不安定就業に焦点をあてて,上記の二領域をともにカバーしている点に大きな意義がある。
(2) 統計を社会的生産物として把握した意義
失業・雇用統計としては,イギリス起源の業務統計としての失業登録統計とアメリカ起源の調査統計としての労働力調査という国際的な標準となっている二つ の系列があり,どちらも当時の失業救済政策の一環として生まれた特徴を持っている。著者の前著がアメリカ起源の労働力調査を取り上げたのに対して,本著作 では,19世紀後半からの労働組合の失業給付事業を起源とし,失業救済と失業労働者法(1905年),職業紹介所法(1909年)を経て,失業保険法 (1911年)にいたる過程を述べることによって,イギリスの失業登録統計(請求者登録統計)の成立過程を考察している。その結果,失業保険法の失業保険 給付の諸条件の規定にもとづいて作り出された失業の基本的概念である無職、求職、就業可能という3要件が,その後も国際的に継承されていることを明らかに している点に大きな意義がある。
また,公表失業率は短期の就業状況を示す労働力調査を使用して作成されているなど,公表失業率だけでは覆い尽くせない雇用問題が多数存在することは広く 知られている。たとえば,労働意欲喪失による非労働力化を示す潜在的失業,失業にまでは至らないが時間的・期間的に短期の就業である不安定就業,不安定就 業と密接に関連している貧困との関連を問題にする半就業などである。本著作では,国際的な労働力調査に対する批判とそこでの議論のなかから失業の代替指標 (U指標)や半就業指標が提唱されてきた過程を,当時の研究を検討することによって詳細に考察している点が注目される。
(3) 統計によって雇用問題を把握した意義
日本における失業の代替指標(U指標)を試算するとともに,それだけでは把握できない不安定就業などの雇用問題を,労働力特別調査や就業構造基本調査を 用いることによって明らかにしている。また,就業構造基本調査のミクロデータを利用することによって半就業としての「ワーキングプア」の分析を行い,日英 の比較を行っている。なお,著者は「ワーキングプア」を狭義のワーキングプア(就労貧困者)だけでなく、求職失業者をも含むものとして概念規定している点 が注目される。
以上のように本著作は、雇用・失業指標と不安定就業に関する統計や統計指標が形成される過程を当時の研究論文を渉猟することによって明らかにしているとと もに,近年進んできたミクロデータも含めて日本の雇用問題を体系的・構造的に把握しており,雇用・失業指標と不安定就業の統計的把握を前進させている。
2. 残された課題
公表失業者(率)として雇用問題が顕在化していた時代から,次第に不完全就業や半就業が問題とされてきたように,雇用問題は社会の変化に伴って変化してい る。本著作の研究対象外であるものの,それらの雇用問題を生み出した社会構造に対する分析が不十分であるように思われる。たとえば,「ワーキングプア」は 雇用期間・時間だけではなく所得も加味した概念であり,雇用問題を労働者個人ではなく世帯(労働者の再生産単位)の問題として把握することを迫っている。 そのためには,世帯や家族の変容と雇用の関連についての理論的な把握とそのために必要な統計の検討が必要となるであろう。また,貧困を問題とする限り,雇 用関係だけでなく自営業者に関する本格的な統計的研究も必要となる。これらは,著者のみならず本学会の取り組むべき課題でもある。
3. 選考結果
本 学会の特徴の一つは,政府によって作成・公表される統計資料を社会科学研究に利用するだけではなく,統計が社会的生産物であることに着目して,統計の作成 される過程そのものを研究対象としてきたことである。最近では欧米で注目された統計指標を日本の既存統計の組み替えで示すことによって現代日本の雇用問題 に迫る研究が多く見られるが,本研究はそれらの統計指標の背景をも示している点で経済統計学会らしい業績といえる。
以上のような理由から、学会賞選考委員会は本著作に対して2011年度経済統計学会賞を授与することにした。
2011年9月13日
学会賞選考委員会