2009年度 経済統計学会賞

受賞者:木村和範(北海学園大学)

選考結果報告

選考対象論文
木村和範著『ジニ係数の形成』北海道大学出版会,2008年3月

本書は,所得分配の格差を示す統計指標として名高いジニ係数の理論的形成過程を丹念に追跡した労作である。

1.本論文の意義

(1)統計学説史としての意義
近年における統計学史研究は,国際的動向として,確率論・誤差論・数理統計学という3分野の歴史的関連を明らかにするところに一つの特徴がある。つまり統 計的推測論史としての統計学史研究である。これは,現代統計学のパラダイムをデ・ファクト・スタンダードなものとみなし,この視点からのみ統計学の歴史的 発展過程を見ようとする,近年の統計学史研究における基本的スタンスである。当然のことながら,このようなアプローチからすれば,本書が課題としているよ うなジニ係数の歴史などは殆んど研究の対象にさえなり得ない。
本論文の統計学史研究としての意義は,主流的な数理統計学からすれば異端的な系譜に属するジニ統計学に焦点を当て,近年の統計学史研究の在り方に一石を投 じたことにある。つまり統計学の歴史は,数理統計学の歴史がすべてではなく社会統計学や経済統計学の歴史も重要な分野として研究の対象になり得ることを具 体的に示したことにある。

(2)ジニ係数研究史からみた意義
戦前のジニ係数の記述統計的な理論・実証研究としては、汐見三郎他著『国民所得の分配』(有斐閣)、日本統計学会編『国民所得とその分布』(日本評論 社)などがあるが、これらはいずれも諸尺度についての技術論的紹介である。戦後の研究でジニ係数に言及したものとしては、田口時夫著『経済分析と多次元解 析』(東洋経済新報社)や関彌三郎著『寄与度・寄与率』(産業統計研究社)などが挙げられるが、前者はローレンツ曲線の多次元化、後者は係数の分解という 視点からのものである。また社会的厚生関数との関連でジニ係数を論じているAtkinson A. B., ”On the Measurement of Inequality,” Journal of Economic Theoryや青木昌彦著『分配理論』(筑摩書房)、Kakwani, N. C., Income Inequality and Poverty, Oxford University Pressは、尺度の背景となっている社会的厚生の摘出と比較に専ら焦点があてられている。
この点で本論文は,ジニ係数が初出する原著論文”Sulla misura della concentrazione e della variabilita` dei caratteri”にあたり、それが3通りに定義されていることを示し,平均差による定義の初出についての通説を訂正している。またジニ係数に先行する 所得分布を前提するパレート指数の問題点を明らかにし、集中指数を経て分布を前提しないジニ係数に至る過程を当時の社会情勢や先行研究との関連などを精査 しつつ克明に描き出すことに成功している。
また,本論文では、ローレンツ曲線誕生に至る前史についても,諸家の原著論文にあたり詳細に検討を加えているとともに、ジニ係数の着想がローレンツ曲線の 不十分性克服を一つの契機としていることが明らかにされている。さらに平均差を用いたジニ係数の定義についても詳細に論じられている。
このように本論文では、ジニ係数を中心として、それに関連する様々な統計指標について相互の関連等の解明が精力的に行われている。このことが、本研究を守 備範囲が広くてしかも重層的・複眼的視点を持つ懐の深いジニ係数研究としており、ジニ係数の統計学的,経済学的な現代的意義を改めて問い直している。

 

2.残された課題

本論文が学説史的視点から『ジニ係数の形成』を論じたものであることから、必ずしも本論文の直接の課題ではないが、本研究の外延部に存在するものも含め、今後に残された諸課題を以下に記しておく。

(1)ジニの平均差理論と19世紀観測誤差論との理論的紐帯の検討
(2)平均差と集中比またはローレンツ曲線による定義の一致の根拠についてのより立ち入った説明
(3)ジニ係数の様々な分解法とそれらの位置づけの研究
(4)ジニ係数が同一の場合の社会的厚生の面からの評価

なお、これらについては,執筆者自身が今後の検討課題として認識しており,選考委員会としては、一層の議論の進展を期待したい。

 

3.選考結果
経済構造改革政策の結果評価とも関連して、近年、所得格差の統計的計測をめぐる論議が広範な注目を集めている。本論文は、ともすれば政治的含意を持つ格差 論争そのものとは一線を画しつつも、その根底をなす計測法それ自体の意味をその成立史の中に探るという労作である。それは、統計学を社会科学としての統計 学とする本会の存在を社会に知らしめる業績として経済統計学会賞にふさわしい業績であるといえる。
以上のような理由から、学会賞選考委員会は本論文に対し2009年度経済統計学会賞を授与することとした。

2009年9月5日
学会賞選考委員会

PAGETOP